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2018年8月

縄文展

 8月も10日あまりとなりました。なんか「暑い!暑すぎ!!暑すぎる!!!」と言ってる間に8月はドンドコ過ぎようとしています。

 昨日21日、思い切って東京国立博物館でやっている『縄文展・一万年の美の鼓動』に日帰りでパーと行ってきました。行きたいと思っていましたが、東京やし、9月にロンドン行くし、なんやかややることいっぱいあるし。と、ほぼあきらめていました。まあ、滋賀県の佐川美術館でやってる『田中一村展』にでも行くかと調べてみると、電車だと遠い、いつも車で行ってたから、、。それなら、いっそ新幹線で、東京はすぐです。それに今年ジバングというのに入り、3割引きになるという。夫は昨日から二度目の夏山登山へ、それもジバング使用。ひかりしか使えませんが、選べば3時間弱で行けます。混みあうのぞみと比べればいい感じです。
 
 朝7時過ぎのに乗って11時前にはゆっくり上野の国立博物館に到着。入場券を買うのにちょっと並んだくらいで、そんなに混んでなくてよかったです。友だちが行ったときはかなり並んだらしいけどね。やっぱりお江戸に行くのはテンション上がりますね。ましてや念願の縄文展。ワクワクしました。
 
 「縄文」という時代は、今から1万3千年前から約1万年続いたんですと、びっくりです。そしてほぼ日本列島の全域に遺跡があります。その全国の遺跡から出土されたものが、一堂に集められた展覧会です。縄文好きの友だちと、いつかいろいろ回りたいねと話していましたが、今回それが実現しました。彼らは実にいろんなものを作っています。なかでも土偶が素晴らしい。ダイナミックで暖かく、ずっと見ていたくなります。これを魅せられるというのか。岡本太郎が惹きつけられたのも、実物を見て納得しました。教科書にはいくつか載っていましたが、やはりそのオーラがすごいのです。
 展覧会の展示内容もよく考えられていましたが、あまりの多さに休み休み見ていきます。特に6つの国宝が一堂に並べられているのには圧倒されました。もちろん他の何でもない土偶やツボにも驚くのですが、この飾ろうとする心、なにかを表現しようとするこころ、1万年って時間は想像できませんが、わたしたちのずっとずっと前に確かにいた人たちが、土をこね、手を使い、悩んだかはわかりませんが創ってきたんだと。不思議な気持ちになりました。
 まだまだ整理されてませんが、もし気力と体力と時間があれば、ぜひおすすめです。9月2日までです。巡回はもちろんなくて、なんかパリで関連した展覧会があるそうです。
 朝11時頃から閉館の5時まで、東京国立博物館のあちこちをウロウロして堪能しました。同時に『日本の考古』というのもやっており、埴輪にもいっぱい出会い、まさに悠久の時の中に身を置いた一日でした。本館・東洋館もチラッと回りました。やっぱり国博いいです。
 帰りは、混雑の東京駅で駅弁とビールを仕入れ、ひかりにゆられて無事帰ってきました。夏休み止めの一発旅でした。(せ)

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生きざま

 この夏、少し年上の友達が急逝しました。先日、子どもさんたち主催のお別れ会があり、出かけてきました。とても心に残る集まりでした。

 彼女とは、サマーヒリアンの親として出会い、時どきランチをしたりお宅を訪ねたりして、お互いの子どもたちの成長を楽しみながらの長い緩やかなお付き合いでした。何年か前にガンを患われましたが、ガンに左右される生き方はしたくないと、できるだけ自然な形で生きておられました。それ以外にも、いろいろあったようなのですが、会うたびに少女のような笑顔は変わらずでした。
 彼女は音楽、特にオペラが大好きで、夫の関係でNYに滞在中に出会ったグランドピアノを、なんと日本に持ち帰り、宝物のように大切に愛していました。そのピアノでの自宅コンサートは100回を超え、ちょっと遠くてなかなか行けなかったのですが、行くたびに贅沢な時間を味あわせてもらいました。
 
 突然、インドのマザーテレサの「死を迎える人の家」を、たった一人で訪ねたり、いろいろ驚かされることも多かった人です。そして、最近も近づく死に対して、彼女なりの付き合いをされていました。今回、彼女の師であるピアニストの方によると、またピアノを彼に習い始め、発表会にも出られていたそうです。ほんとに命を削るように、いや全身全霊でピアノに取り組まれていたそうです。その彼女の練習していた曲を聴きながら、人生、外側ではいろいろ大変なことがあっても、彼女は、終生音楽を愛し、音楽とともに暮らし、やるべきことをやって逝かれたんだと胸が詰まり、またうれしかったです。
 そして娘や息子たちも立派に勤めをはたしていました。一般的なお葬式の後、こうした会を持ってくれた彼らに感謝します。
 
 帰りの電車で、「ああ、もう一回会いたかったね。あの声あの笑顔に、そして彼女のピアノをもう一回聞きたかったね」と友だちと話して帰りました。ちょっと遠いからとか忙しいからとか、言い訳していた自分を後悔しました。でも彼女の生きざまは、深く心に残っています。ありがとう!
 そして笑顔で心からご冥福をお祈りします。この夏の大きな出来事のひとつです。
 みなさま、会いたい人には会いに、行きたい所にはちゃんと行ってみましょう。まだまだ暑いです。ご自愛くださいませ(せ)

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夏に思うあれこれ

 7月の末にちょっと長旅をしていて帰ってきたら、いろんなことが起こっていました。そして8月8日沖縄県知事翁長雄志さんが亡くなられました。なんとわたしと同い年でした。最後にマスコミの前に出られた時、えらく痩せておられたとは思いましたが、こんなに早く逝かれてしまうとは、、、悲しく残念でなりません。きっと心労や重圧、いろんなものが積み重なってのことのように思います。一方、どんな状況でも生き延びる政治家も多くいますが、、、。

 1951年に日本の大阪という都市で生まれたわたしと、沖縄で生を受けた翁長さんとは、同じ67年の人生でも大きく違っていただろうと、今更ながらに思います。生まれた土地によって、受ける人生の差があってはいけないといつも思うのですが、この狭い日本の中でも、沖縄と大阪の違い遠さを思います。特に、先日「沖縄スパイ戦史」を見た後、沖縄に対して今まで以上に何も知らなかったとつくづく感じていたので、余計にそう感じるのです。辺野古の問題も、現地での強い反対運動、各地での声は小さいかもしれませんが声をあげ続けていても、アベ政権は耳をかしません。すべてにおいて恐ろしいくらい独裁的であり、高慢、冷血な政治家です。
 
 もうひとつショックだったのは、オウム真理教事件の死刑囚全員が殺害されてしまったことです。留め置きしてあった新聞で細かいことを知りましたが、まあ、これもどこまで真実かは怪しいですが。ことばがありませんでした。人をたくさん殺したから罪が大きいから、その人を国家が殺してもいいのでしょうか。親族のことを思うと仕方がないとよく言われますが、死刑囚の親族も、また同じ思いをするということ、基本的に同じ人間であるということが、常にどこかにやられてしまっている。えん罪がこれほど多いなか、死刑制度についてもっと考えてみなければいけないはずです。人はいつ犯罪を起こすか、それはわからない。小説のなかの殺人事件では殺す側の心理が描かれていますが、現実の事件では、殺す側の心情はカットされ事実だけで、処罰されます。
 オウム事件は、時代であり社会が起こしてしまった事件でもあると思います。なんら解明されないままふたをするということは、なかったことにするということは、先の戦争も、フクシマ原発事故も、今あちこちで起こっている人災と言えるかもしれない災害も、すべてなかったことになってしまうということでしょう。
 
 そしてオリンピックへ、天皇の交代へ、前へ前へと進んでいこうとするこの国。トップの政治家だけは変わることなく、進められていく。
 この夏の暑さが厳しく身に染みるのは、この国に生きることの暑さも加味されています。
ほんとに、このままでいいのでしょうか。そして、命にかかわる暑さのなか、熱中症で何人も倒れても高校野球はやる!この国の暑さ熱さ。首をかしげざるをえません。どうぞみなさまご自愛ください。なんとかなんとか乗り切ってまいりましょう。
 
 翁長さんに哀悼の意を込めて。「沖縄スパイ戦史」は第七芸術劇場(十三・06-6302-2073)で上映中です。ぜひお出かけください。沖縄を忘れてはいけないし、結局は本土も同じ状況であるということを忘れてはいけないのです。(せ)
 

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